Two for the Road いつもふたりで

"Due per la strada" --- ミラノに住むふたり、橘凛夫婦が、徒然とイタリア生活やヨーロッパの綺麗な風景、旅行記を綴ります。

表現の自由という名のマスコミの暴力

今日は初めて写真をつけません

日大アメフト部の悪質タックル問題が話題になっていますね。
私も、日本の体育会系の不自由さとその異質な変わらなさは、
日本社会に根付く悪の土壌だと思っているので、結構関心があります。
問題提起は非常に大事だと思う。

ただ、You Tubeでアップされている謝罪会見やニュースを見ると、
最近逆にこう思うんですよ。
「もういいんじゃないか」って。
特に日大広報部を攻撃している様を見ていると、
確かに選手の会見と監督・コーチの会見に食い違いがあり、
納得いかないのは分からないのでもないですが、
その事にマスコミ各社がこぞったように監督・コーチを悪にしている。

そんなにあの内田前監督・井上元コーチは悪の権化でしょうか。
彼らがしたことは、未来永劫反省し変わる事のないものなのでしょうか。
そういう訳ではないでしょう。

ましてや、日大広報部のおじいちゃん。
あの内田前監督や井上元コーチとどんな関係にあるのか分かりませんが、
私があのおじいちゃんだとしても、同じような質問だらけのマスコミに対し、
これ以上非難を受けるのは可哀想だと会見を切り上げたでしょう。
それくらい、監督・コーチを悪に仕立て上げる事ばかりを聞いている。

それで切り上げようとすると今度は自分たちの
挙句にはニュースでは日大広報部の酷い扱いばかりクローズアップしている。
しかも自分たちに対して酷い事を言ったシーンしか取り上げない。

マスコミがいかに表現の自由を、自分たちの暴力の武器にしているか。

このニュースを見た時、正直身の毛がよだちました。
マスコミは何でも聞いても良いのか。何でも攻撃しても良いのか。

なんかね、いつぞやかクレイジージャーニーでやってたペルーの話で、
私刑(リンチ)の文化がまだ根付いているっていうので、
観覧者が絶句するというのがあったんですが、
マスコミのやってる事って公開リンチですよ、何が違うの?
ペルーの文化は絶句して、遅れてるとか考える訳なのに、
我々のやってることはそれと変わらないですよね。

現代社会では私刑の代わりに司法=裁判所が存在しています。
裁判所では黙秘権とかありますし、被告人にだって必ず弁護人が立てられます。
私たちはついつい水戸黄門や色んな時代劇然り、
物事を正義と悪の二極化で考えがちですが、世の中そんな簡単だったらどんなに楽か。
そんな簡単じゃないから、司法が可能な限り平等たるんでしょう。

事実を事実として放映するのがマスコミの自由なのであって、
その事実にマスコミ独自の主観を塗り固めるのは、表現の自由という名の暴力である。
正直法律ででも禁止すべきだと思う、第三機関とか設けて、
もしくは裁判所だのが判断して、一時的な停止措置命令を出すとか。
まぁ主観というのはどうにも少しは入るわけだから、線引き難しいですけどね。

 

寧ろマスコミにやって欲しいことは、追求なんかよりも、
これからこんな事が起きないように社会はどう動いているのか、
そういった将来に繋がる事を放映して欲しい。
この事件をきっかけに、こんなのが作られようとしてますぜ、とか、
指導者のみなさん、また選手の皆さん、これからはこんな機関がありますよ、とか。

罪を憎んで人を憎まず。
報道されるニュースに対しては、そう願います。

また我々、ニュースの視聴者は、情報リテラシーを磨くことが大事ですね。

お題「どうしても言いたい!」

イタリア郊外の道路

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チニセッロバルサモとモンツァとセストサンジョバンニの間

近所のミラノから北のレッコに向かう道路です。
ミラノ北部の高速道路、A4と環状線北側と交差します。
このすぐ近く・・・撮影した側・ミラノ側と反対側には、
近辺でも最大のショッピングセンターがあったのですが、
客足も悪くないまま数年前にいきなり破綻、閉鎖され、
来年頃にすぐ近くまで伸びる地下鉄をいきなり無意味にしてくれました。
イタリア人に聞いても、誰一人何故閉鎖になったのか理解しておりません。

今、まだミラノ地下鉄M1(赤線)の終点はまだ街の中ですが、
今度の延伸で、終点駅は店一つもない、荒野になります。
あの辺りは発展していくのだろうか。

日本もたまに無計画な都市造りやってますが、イタリアには勝てませんよ。

壊れた信号機

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信号機が壊れるだなんて 

そんなの日本じゃ有り得ないなんて言いませんが、しかしイタリアは多い。
どこかしこで見ます、青がつかない信号機とか。
初めての道で出くわすと戸惑うこともありますが、ここら辺は空気感ですよね。
日本の、一集団から強制されて読ませる空気には馴染めない私ですが、
イタリアではそれなりに空気感が読めている気がしています。

でも先週の水曜日は、夕方日本人学校近辺でひどい目に遇いました。
停電なのか何なのか、あの一帯で信号機が一切稼働しておらず、
車通りの激しい交差点はイタリア人の自己主張で完全に渋滞、停止しておりました。

でもなんとなく規律的に動くんですよね。
南イタリアの、空いたスペースに入らなかったお前が悪い的なのではなくて、
そっちが行けそうだから先にお前行かせてやるよ的な北イタリアの空気は、
なんだかんだ嫌いではないです。

まぁこんな感じで壊れているよ、と撮影しました。
どうせ停まってたし。

エルサレムの笑う猫

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パレスチナ情勢が不穏ですね

世の中、ハァ?とか思う事が沢山ありますよね。
私も今朝ありましたよ、というか、毎朝イタリア人には、ハァ?と思っています。
でも、笑う門には福来る。
だからこそ、たまにはそんな言葉を思い返して、笑っていきましょう。

エルサレムで撮影した写真を見返していたら、こんな可愛いのが見つかりました。
写真家あるあるだと思いますが、意外に1枚目が偶然良かったりします。

 

忘れかけていましたが、エルサレムは何度でも訪れたい場所でした。
ちょうどシリア情勢が悪化し始めていた頃。
すごくネットで下調べして、荷物も捨てても良いようなものにして、
(普段使わないスーツケースや安物のサングラスにして。)
ホテルも5つ星にして、複数人で泊まったりして、
実はホテルが昔テロにあったところだったりして(笑)

でも行ってみたら全然安全、すごく気のいい人ばかり。
その前に訪れたエジプトでタカられまくった反動なのか、
あぁ、中東の人も底意地の悪い人たちだらけではないのかな、と思えました。

ただ街の人と話すと、やっぱりパレスチナ人は心に翳りを持っていたり、
ユダヤ教信者とパレスチナ人の交わりの無さが見えたり、
また、遠くの方まで見渡せる程の壁*1が見えたり。
実際に目で見る事で、沢山の事実を実感する事ができました。

 

だからこそ。

イスラエルが勝手にエルサレムを首都する事に、私はどうしても同意できません。
そしてアメリカがそれを承認する事に、非常に怒りを覚えてしまう。

エルサレムが、ユダヤ教キリスト教イスラム教、
これら全ての宗教にとって聖地と見なされているのはもはや周知の事実。
そして歴史的に見れば、土地を奪われたパレスチナ人もいる。
そんな事を深くも考えず、下した決断がこんなんだとしたら、
近年の平和って一体何だったんでしょうね。

 

しかし、あんな下品な大統領を支持する人間がいたり、
イタリアでも全く浅はかなマニフェストに貴重な投票権を投げ入れる人がいたり、
グローバリゼーションが加速しているこの世の中は、今やそれと逆行するように、
世界各地でどんどん自分本位な考えになってきているような気がします。
それって本当に世界にとって良い事なんでしょうか。

これは日本だってそう。
今やっている事が将来一体何のためになるのか。
本当に大事なことは一体なんなのか。
将来日本を背負う子ども達へ、我が国をどういった社会構造のまま渡すべきなのか、
我々は常に考えながら生きていかなければなりません。
だから我々は、大人になっても勉強しなければならないのだと、私は思います。

本当は沢山言いたい事があります、世の中に物申したい事だらけです。
でも、政治的な話題は挙げたくはありません、色んな考え方あるのを知っています。
ただ、色んな考え方に耳を向け、寛容でいて、受容したりもして、
自分の考えを凝り固まらせず絶えず自問自答するような、
そういったスタンスこそが、人間として大事な事なのではないかと思います。
そういった事ができる人が、世界をどんどん引っ張っていって欲しいものです。

 

なんだかんだいろいろ書きましたが、とりあえずは、笑顔が一番大事ですよね。
世界中の人たち全てがほっこり笑えるような、
そんな歌でも、写真でも、芸術でも、この世のどこかで見つからないものでしょうか。
猫だって笑うんだもの、きっとどこかにあるんじゃないかな、と思います。

お題「もう一度行きたい場所」

お題「最近気になったニュース」