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Two for the Road いつもふたりで

"Due per la strada" --- ミラノに住むふたりが、徒然とイタリア生活やヨーロッパの綺麗な風景、旅行記を綴ります。

日本の過剰労働について

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非常に共感しました

読んでいた記事に非常に共感しました。著者の方もドイツにお住いのようですが、イタリアも(最近は頑張っているとはいえ)大半のお店は日曜日か、レストランとかは月曜日に休みます。この社会に慣れていないと、なんで休むの?サービスとして他を出し抜くべきじゃん、とついつい不満に思ってしまうのですが、働いている人も人間ですからね、彼らだって休むべき時に休みたいんですよ、と既に慣れきった私は理解するようになりました。

個人的にどうも、「お客様は神様です」という言葉を曲解されている方が多いと思います。下記リンクを貼っておきますが、元々この言葉を作った三波春夫が考えていた本来の意味は芸事を行う際の神聖なる気持ちの意味。離れすぎている現状が、常日頃から納得できませんでした。

なぜか日本人というのはサービスを過剰に求めますよね。もちろんこの過剰サービスが、素晴らしいサービスを生み出している一面はあるのですが、どう考えてもそれは過剰だという行為にまで踏み越えています。

そもそもサービスとは、サービスする側とサービスされる側の間に代償関係があって成り立つ事。サービスする側は、サービスへの対価を求めます。そして、サービスされる側は、サービスを得た後に対価を払います。そんな、お互いがお互いを尊重し合う、対等な関係にあって、初めてサービスというものが成り立つ筈です。

しかし過剰なサービスの場合、お客様という存在がサービスに対する対価を忘れて、ただ甘えているだけです。これでは対等な関係と言えず、過剰なサービスを要求する人間は、いわば親に甘える子どもと言えるでしょう。

記事の中ではサービスする側もNOと言うべきだ、と書いています。私の考えではその上に、サービスを受ける側がどんなサービスを見越して対価を支払うのか、まず考える必要があるのではないか、と思います。自分はどういったサービスを受けたいのか、明確に考えて伝えてから、サービスを受けるべきではないでしょうか。

サラリーマンの話

ところで、サラリーマンの世界の場合、この過剰サービスは組織の上下関係へ展開されている気がするのです。皆さんも何か思い当たりませんか。例えば上司の発表資料を部下達が考え夜通し作成する。例えば上司の移動に部下が運転手として送り迎えする。例えば上司の夕食にご一緒する。一体何でそんなに上司にサービスして機嫌を取るのか。下の人間が上司にサービスして上司の機嫌をとる社会、私はこの土壌こそが過剰労働を生んでいると思っています。

以前からこんなに労働時間が長い、長いと叫ばれており、それが最近ようやく社会問題になって世界がほんのちょっぴり動き出した気はします。ただやってることといえば、猫も杓子も残業時間をビシッと一律にカットしていたり、従業員が終わらない仕事は中間管理職が残業して埋め合わせしたり、子どもでも分かりますが、そんなことは根本的な解決になっていません。焦点を過剰労働を生み出す原因に当てて、その原因を排除することこそが過剰労働の解消に繋がるのです。

何故こんなに過剰労働が多いのか。それは無駄な仕事が多いからです。ヨーロッパの会社と、日本の会社と、結果としてみると生産性は殆ど等しいにも関わらず、日本の会社員が何故こんなに過剰労働をしているのか。それは結果に結びつく仕事以外の無駄な仕事が多いからです。日本人の過剰労働は、残念ながら何も生み出していません。製造業が多いこの日本。トヨタ生産方式(TPS)という「ムリ・ムダ・ムラを無くす」思想があるにも関わらず、ですよ。

では何故こんな無駄が、省かれもせず、残っているのか。それは無駄が、上から生み出されているからです。無駄が下から出たところで、それは上に叱責されるだけです。上から無駄が生み出されるからこそ、過剰労働を生み出すのです。

そして、この上から生み出される無駄というのを、生み出す上の人間は当たり前だと思っているのが、一番厄介なポイントです。いかなる無駄だろうと上の人間が正しいと思えば、下の人間は従わざるをえません。そうすると無駄なことを消化しなければならない、これが過剰労働が発生する仕組みです。

そもそも会社組織の上下関係とは、集団を導くリーダーと、そのリーダーに従って行動する集団の構成員とで築き上げられる関係です。この場合、リーダーの仕事は集団の目標に到達するための方針を作り、集団の構成員に指示すること。そして、集団の構成員の仕事は、与えられた指示をこなすこと。リーダーと構成員はそれぞれ役割が違うだけの上下関係で、立場としては対等なんです。

ここで立場が一緒、というと、対価・・・給料の差があるのではないか、と言う人がいるかもしれませんが、給料は上下関係で差があるわけではありません。対価は責任から発生するものであり、集団の目標を決定するリーダーは、その目標に対して責任を持っているから給料が高いのです。そして目標が失敗だった場合、リーダーは責任を負わなければなりません。リスクの高い責任を負うからこそ、リーダーは高い対価の給料を得るのです。

対して集団の各構成員は、リーダーから与えられた指示をこなしていることが求められており、集団の目標が失敗だったとしても責任を負う必要はありません。対価となる給料が低いのは、負う責任もリスクが低いものです。

だからこそ、この上下関係に、奉仕という意味でのサービスが入り込む余地は、本来ないはずです。リーダーと構成員の間で、無駄なサービスを要求することは、拒否してもなんら問題はありません。リーダーと構成員はそれぞれ役割や責任が違うだけで、立場としては対等であるべきなのです。

それにも関わらず、日本の集団のリーダーたちは、下の人間が従わざるをえないことをいいことに、自分に対するサービスばかり要求し、無駄な仕事を生み出します。そして過剰なサービスがエスカレートしていき、下の人間が上司にサービスして上司の機嫌をとる社会が生み出されています。

記事に戻って絡めますと、サービスをする側がNOということも大事ですが、何度も言うようにサービスを受ける側がどんなサービスを必要としているのか、考えるべきです。日本のリーダーたち、上に立つ人間たちこそ、負うべき責任のために、自分たちの立場を自覚して欲しいと思います。そして、自分が作り上げている無駄を取り外して欲しい。そうすることで、ようやく過剰労働がなくなるのではないか、と思います。

職務に忠実である事は失って欲しくない

さてさて、過剰サービスが無くなったとして。ただ、一つだけ無くしてどうしても欲しくないのは、自分の仕事、職務に対して忠実であることを失って欲しくないと思います。

同僚のイタリア人が、日本出張での行き先でJR飯田線を使った際、日本の電車の運転士の質の高さに非常に感動していました。その運転士は女性だったそうですが、どんなに田舎の停車場であれ、ピシッと制服を着こなした運転士の彼女は、駅に着く度に、また駅を発車する度に、点検を行っていたそうです。その姿を他の乗客は気にも止めないにも関わらず、彼女は必ず自分の仕事に忠実にいた、仕事とはこうあるべきだと彼は興奮気味に私に語ってくれました。私は未だJR飯田線を利用したことはありませんが、いつか長野に滞在して時間があるなら、是非とも飯田線で旅をしたい、と思いました。

イタリアだとこうはいきません。乗務員の制服は汚く、乗務員もシャツがはみ出していても気にもしません。駅員もお客さんが困っても助けようともしない。電車が何十分遅れようとも気にも留めない。仕事をしているにも関わらず自分勝手、とても心が貧しい。サービス以前に、彼らは職務に忠実であるべき、と常々感じます。非常に残念ですが、心が貧しい彼らを、私は同じ人間だと到底思えない。

役割を持って、役割に忠実になる。それこそが人間が、人間である所以です。サービスを行うものは、適切なサービスを心がけるべきでしょう。但し、そこに過剰なサービスを誰にも要求しない、それだけです。

今日の一枚

日本の警察官の方々は、治安を守るという職務に忠実でいらっしゃって、誠に尊敬しております。後ろ姿とはいえ、肖像権を侵害して申し訳ありません。また以前、スピード違反で捕まったり、一時停止線の細かいことで捕まったり、その度に腹を立てて暴言を吐きたくなりますこと、申し訳ない限りです。これからも、その職務に忠実であられ続けることを、切に切に願っております。

さて今日はめちゃくちゃ長文になりました。最近忙しいのですが、睡眠時間削ってまでこんな事書いてしまった。また明日以降はいつも通りの写真投稿に戻ります。