Two for the Road いつもふたりで

"Due per la strada" --- ミラノに住むふたり、橘凛夫婦が、徒然とイタリア生活やヨーロッパの綺麗な風景、旅行記を綴ります。

Innsbruckのポスト

f:id:ventottoprimavera:オーストリア;ポスト;黄色;訳

オーストリアのポスト

今日は世界のポスト編、オーストリアはインスブルック / Innsbruckのポストをば。

オーストリアのポストは黄色です。また、オーストリアだけでなく、ヨーロッパのポストは多くは黄色です。大陸と大概反対の事をやるイギリスなんてのは赤色ですね。さて、これらの違いは何でしょう?

ポストの色の理由

赤色だろうと、黄色だろうと、基本的にポストの色の理由はたった一つ。それは「目立つため」。遠くにいてもパッと見て分かる原色を塗っているというのが理由です。

しかし、赤色と黄色には、歴史に雲泥の差があります。

赤色は、郵便ポストを世界で初めて設置したイギリスが採用した色だからです。その郵便制度に倣った国や、イギリスの旧植民地だった国などは赤色を採用しています。日本は前者ですね。その色は郊外の緑にも、多発する霧の中でも、紛れない色だから、だとか。

しかし黄色は、中世は15世紀、ハプスブルク家であり、神聖ローマ帝国皇帝であったマクシミリアン1世の時代まで遡ります。

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マクシミリアン1世は、神聖ローマ帝国の皇帝に就き、オーストリア大公、チロル伯やミラノ伯を歴任し、ハプスブルク家の栄華を極める事になります。また、このインスブルックへ遷都した事も有名です。ただ皇帝即位前はある意味ヒモ、奥様マリー女公の領地ブルゴーニュ公国とネーデルラント地域を、奥様と共同で治めていました。

マリー女公とは非常に仲睦まじく、領民からも好意的に捉えられていました。しかしマリー女公が落馬事故で亡くなった後、ハプスブルク家であるマクシミリアン1世に領民は反発。結局二人の息子、フェリペ1世(美公)が継ぐ事になります。

しかし度重なる反乱がまだ残っており、息子の事が心配。そのため、このブルゴーニュとネーデルラントへの物資輸送に、フランチェスコ・デ・タシスをその兄・甥と共に、郵便主任というポストに任命しました。

このフランチェスコ・デ・タシスが、当時の長距離物資輸送のシステムやルートを大きく開拓し、のちの郵便事業へと発展させていきます。記述通り、当時このインスブルックは都であったため、インスブルックへのルートも開拓された内の一つです。

さらにフランチェスコは、インスブルックからブリュッセルへ転居し、フェリペ1世の元で国の郵便事業を担うようになります。その傍ら商用郵便と旅行業の事業を許されました。この契約が、公用の物資・郵便輸送だけでなく、庶民の郵便も配達する郵便車を生み出します。

前置きが長くなりましたが、ポストが黄色になった理由とは、この郵便車にあります。フランチェスコは郵便車の御者に豪華な服を、そして馬車は目立つように全身美しい黄色を塗ったそうです。これが今日の黄色ポストの由来となります。

 

そんな今日の話。超行き当たりばったりで、インスブルックが黄色に絡むなど、調べている時に初めて知りました。今日は手抜き記事にしようと考えていたのですが。。。偶然とは恐ろしや。

今日のBGM

くるり " レンヴェーグ・ワルツ RENNWEG WALTZ"

Rennweg Waltz

Rennweg Waltz

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  • provided courtesy of iTunes

 アルバム"ワルツを踊れ Tanz Walzer"の中のワルツ曲です。

インスブルックはワルツ発祥の地ですので。