イアの夕暮れ
帰宅しました
あまりネット環境が良くなく、サボりぐせも重なって久しぶりの投稿です。
写真はサントリーニのイア。
夕陽が沈んだ後の時間帯が、個人的に一番好きです。
イアの夕暮れをタイムラプスで撮影したんですが、
まず載せたいと思ったのはこの夕暮れ後の写真。
夜の青が濃く染まる前に、どうして夕陽は正反対の赤を濃くするのか。
そして夕陽が沈んだ後、その赤と青が様々な比率で紫を見事に彩っている。
青と赤の中間という意味を持った「紫」が、個人的にすごく好きです。
イアの要塞から夕陽を撮影するのに、
日が沈む2〜3時間前には既に場所取りが始まっていると聞いていたので、
日の入りが始まる19時半(8月後半)から3時間前と思って16時半から並んでいました。
でも30分くらい、しばらくは自分独りなんていう事態に・・・
アホですね。
気がついたら後ろに他のアジア人がいらっしゃって、
服装からして中国人かな、と思っていたら、どうやら日本人の方。。。(すみません)
ドイツにいらっしゃる駐在の方でした。
その節は、本当にご迷惑おかけしました。。。
バルセロナでテロがあるなんて・・・
嗚呼・・・
ヨーロッパでテロがある度に悲しい気持ちになります。
バルセロナのランブラス通りは綺麗な通りです。
深夜も明るくて、呑兵衛たちが集まってわいわい騒いでる、素敵な通りです。
もちろんスリとか軽犯罪はあれど、危険な目に遭う事が考えられない、
そんなバルセロナのメイン通りです。
たまたまこの日に歩いて、たまたまテロに遭われ亡くなられた方を思うと、
胸が痛んで、やり切れません。
月並みな言葉でも、ただ、ただ、ご冥福をお祈りするしかありません。
楽しんだ人も、悲しんでしまった人も、必死に生きている人も、
世界中の人が、少なくとも今日はゆっくり眠れますように。
明日が今日よりも、もう少しだけ平和な世界になっていますように。
マルタのブルーラグーン
これぞクリスタルブルー!
好きな色は数あれど、夏で一番好きな色は、このクリスタルブルー。
これまでも多くの海を見てきましたが、人生で初めて「船が宙に浮いて見えた」のは、マルタ共和国のブルーラグーンでした。昔、記事にも書いて、すごく人気を博しました。
夏のマルタは2度行きましたが、素晴らしい。
何より気候が良いし、ひと夏のバカンス地としてちょうど良い大きさだし、英語が公用語になっているし、治安も良いし、左側通行で運転もしやすいし、世界遺産も映画のロケ地もあるし、物価も安め。家族旅行にもぴったりなんじゃないかな。
周囲の友達に散々勧めたからか、日本からも何人かマルタまで遊びに来てくれました。
特に、このコミノ島にあるブルーラグーンの美しさといったら!
ここに行くまでは、マルタ島の端っこまで行って、小船に乗り継いで…と結構手間暇かかるのですが(コミノ島は無人島に近い)、マルタに行くからには絶対行って欲しいところです。
初めて行った時は、週末だけのことりっぷ、しかも車はなく、友達とバスに乗ってガタゴト行ったので結構疲れましたが、着いてこの海の色を見ただけで疲れが吹き飛びました。20代は、時に何かの苦行かな?と思うほどハードな旅行もしていましたが、楽しかったことしか思い出せないのは何ででしょう。
寒い時期には、キラキラとした思い出と一緒に、ブルーラグーンが恋しくなります。
今日のBGM
夏真っ盛りというとこの曲が頭に流れるんですよね。
夏休みを目の前に
2015年夏のミコノスタウン
ようやく夏休み!
全く空気を読まずにバカンス真っ盛りの8月半ばに役所に招集するイタリアという国家を呪いながら(8月半ばに役所がやっていることにも驚き)、用事も無事完了し、今週から少々遅ればせながら、私達の夏休みも始まります。
まずはギリシャのサントリーニ島とクレタ島へ。これがいわゆる我々の新婚旅行。イタリアの法律に、新婚旅行休暇として10日間(土日くっつけて2週間可)付与というものがあるので、それをたっぷり活用します。
ミラノからは、夏の間だけ、ギリシャの島々に直行フライトが出ます。お互い旅行好きなのに、サントリーニ島というハネムーンの超定番をあえて残していたので、結婚式と同時期くらいにパタパタと決めてしまいました。
サントリーニは火山の島。あくまで景勝地であって、見目麗しいビーチがあるわけではない!と周囲に散々聞かされていたので、高速船で数時間で移動できるギリシャ最大の島クレタにも行くことにしました。
クレタはギリシャ神話の島で遺跡がたくさんあるし、天国みたいに綺麗なビーチもあちこちにあるそうです。
9月は、友人が遊びに来るので、ところ変わってスイスアルプスへ登山。私(海派)・夫(山派)共に満足の夏休みプランです。
ギリシャの読み物定番「遠い太鼓」
ギリシャに行く機会があると、登場人物が多過ぎて混乱するギリシャ神話の復習と一緒に、村上春樹著のエッセイ「遠い太鼓」をなんとなく読み返します。
私は正直、村上春樹氏の小説が好きではありません。その原因を作ったのが我が親友(狂信的ハルキスト)で、半ば強制的に貸してくれた小説が「国境の南 太陽の西」だったのですが、当時中学生だった私は現実味のないストーリーとやたらリアルな性描写に若干ドン引きしてしまい、しかし心酔する親友の隣で、懸命に短編・中編小説に手を出したものの、かえって強いアレルギーを引き起こすこととなってしまいました。
が、イタリアに引っ越してきてから、「遠い太鼓」を入手して、村上氏の書くエッセイは面白いという事に気付きました。「遠い太鼓」は今から30年くらい前に、村上夫妻が南イタリア・ギリシャで暮らした数年間を綴った長編紀行文なんですが、30年経とうと、イタリア、そしておそらくギリシャも、大まかなところは何も変わってない。むしろ未だに、わかるわかる!と思うところ多々なのです。エッセイは自然体で、シニカルだけど前向きで、実際にお話したら、きっとすごく楽しい方なんだろうなと思います。
今日、文庫版あとがきを読み返していて、村上氏はその後アメリカで暮らされたようですが、アメリカ暮らしに比べると、ヨーロッパでの生活は、今日いちにち、何が起こるかわからないというスリルがあった、というようなことが書かれていました。
確かに。日本やアメリカに比べると奇妙で理不尽なことが多く、何が起きてもおかしくないヨーロッパです。が、暮らしながら年月が経つと、そういう刺激もついつい、少しずつ、だんだんと薄れてきてしまったりします。あのミラノ大聖堂を見ても、透明な地中海を見ても、特段心が動かなくなってしまったという知人もいるくらい。慣れや経年変化とは恐ろしいものだと思います。
同じ出来事ひとつとっても、幼い頃の方がよりフレッシュで輝いて見えたのは事実です。でも、どこでどう暮らしていても、村上氏のいう「純粋な驚き」に出会えるのは、きっと心の感度次第なのだろうと思います。それは各個人が一生磨き続けて行かなければならないのでしょうね。
「遠い太鼓」が面白く感じられるのは、作家ゆえに、そんな感度が常に高い位置で保たれているからなのだろうと思います。