イタリアから、黒田選手200勝おめでとうございます。
黒田選手、200勝おめでとうございます。
すみません、旅の風景写真ですらないのですが、どうしても。
ニュースの通り、広島東洋カープの黒田博樹選手が日米通算200勝を達成しました。
2年前まで、プロ野球シーズンが終わると、黒田選手の広島復帰か否かの話題が、
秋の風物詩としてカープファンを賑わしておりました。
色々な意見がありますが、
私個人としては、心の底ではカープへ戻ってきて欲しいと思いながらも、
おそらく戻ってこないと諦めていました。
メジャーでダメだから日本に戻るということはない、と本人も言っていたように、
40歳間近でも、先発ローテでバリバリ投げている間はメジャーを選ぶだろうし、
力の衰えを感じたら、カープに戻るという事もなく引退するだろうと。
秋の風物詩も何度も過ぎていけば、そういう気持ちになります。
だから2014年年末、朝2時頃に目が覚めてしまって(エジプト旅行中でした)、
ふと見た携帯ニュースで黒田選手復帰と見た時、
その後一切寝られないくらい、興奮を覚えました。
まさか2016年、残念ながら日本にはおりませんが、
黒田選手が200勝達成したのをカープとして見られるとは。
土曜日は、これまたニュースを見た後、少し茫然と涙を流していました。
黒田選手の200勝の凄さ
プロ野球ファンの私も、2000本安打やら200勝やら、
毎年賑わしているじゃないか、と思っちゃいます、ごめんなさい。
もちろん、プロ野球の数ある歴史の中でもほんの一握りの選手だけの栄誉です。
しかし、黒田選手の200勝というのは、
そもそも「大卒選手での200勝」達成というところに大きな意味があります。
200勝投手は日本プロ野球史上、これで26人目。
しかし大卒でプロ野球に入った選手では2人目の快挙で、
しかもミスター・タイガースと呼ばれた村山実以来46年ぶり快挙。
村山実は、長嶋茂雄のライバルとして知られており、
あの江夏の21球で知られる江夏豊が阪神入団した時には、
既に球団のエースだったくらい往年の名投手。
当時の投手の登板数は、現代に比べて倍以上に多く、
200勝投手というのは現代よりも往年の名選手の方が多いのです。
黒田選手は1996年のドラフトで入団した、現代の投手。
確かに実働20年目のベテランで一線級の選手ですが、
プロ入り当時、他と抜きん出て凄い、というピッチャーではありませんでした。
90年代当時中学生くらいの私が覚えている黒田選手というと、
球だけ速いノーコン、シーズンで10勝は期待できないピッチャー。
2000年代は10勝に到達して、確かにカープのエースになりましたが、
当時のカープは90年代に比べて打線が12球団でも最弱を争うくらい弱く、
普通の球団で1勝を挙げるよりも、難しかった1勝なのです。
その中でも積み上げた、この200勝というのがいかに重いか。
それを考えただけでもファンとして涙がこみ上げました。
本当に、本当におめでとうございます、黒田選手。
今後も、またできれば来年も、応援していきます。
今日のBGM
勝利を我らに!〜Let's win!〜
すみません、この曲を最近歌いまくってます。
今年優勝できるといいなぁ。